1日目 羽田空港20:45発EK6251便(JL187便との共同運航)で関西空港22:00着。機材はB767−300、ほぼ満席。出国手続き後、23:15発EK317便でドバイ空港へ向かう。機材はA340−500,乗客は座席の約半分。すぐに軽食。託送手荷物は羽田空港でアンマンまで、搭乗券も同じくアンマンまで発券された。
2日目 少しうとうとして朝食。ドバイ空港05:30着。日本との時差−5時間。実際は1時間早く着いた。気温31度。空港は大変な賑わいで、大勢の人が椅子の前の床に寝ていて椅子が使えない。07:25発EK901便でヨルダンのアンマン空港へ向かう。また朝食。アンマン空港09:40着。日本との時差−6時間。ヨルダンのビザ取得と入国手続きは現地旅行社(?)が代行してくれた。つまり、本人は何もせずに入国した感じ。すぐにバスでマダバを通って「ネボ山」へ。モーゼ終焉の地といわれる。マダバに戻って「聖ジョージ教会」へ。床に6世紀に造られたモザイクのパレスチナ地図がある。市内のレストランでヨルダン初めての昼食後、「ペトラ」へ向かって岩山の中を南下する。「ムーベンピック・リゾート・ペトラ」148号室泊。夕食はホテルのレストランで、なかなか良い。客室にBB接続あり、ただし有料。
3日目 ペトラ滞在。8:00歩いて出発。すぐ近くのビジター・センターからペトラ遺跡に入る。ペトラは前4世紀に造られたナバタイ王国の南の首都だそうだ。ナバタイ人の都市遺跡は昨年イスラエルの「アブダッド」で見た。300mほど馬に乗ってから、1.2km続く下り勾配の岩の隙間「シーク」を通って、テレビなどでよく見る岩の殿堂「エル・ハズネ」に達する。何に使われたかはっきりしないそうだ。観光客がいっぱい。いろいろな墳墓やみやげ物店を見ながら「ファサード通り」と「柱廊通り」を歩いて、凱旋門近くの野外レストランで昼食。みやげ物店はこの地域から立ち退かされた人たちに許されているそうだ。瓶の中の砂絵が有名。食後、希望者は長い階段を登って「エド・ディル」へ。ナバタイ人の神殿だったが、後に修道院として使われたそうだ。さらに丘を登って見晴らしの良い展望台まで行く。帰りは来た道をホテルまで歩く。夕食はまたホテルのレストラン。夜の「ペトラ・バイ・ナイト」(エル・ハズネのライトアップ)見物には参加しなかった。「ムーベンピック・リゾート・ペトラ」148号室泊。
4日目 今日は11:00出発なので、朝食後ホテルの周りをゆっくり散歩する。バスで1時間ほど南下し、アカバに近い岩砂漠の中のベドウィンの村「ワディ・ラム」に着く。古代から砂漠の交易路の中継地だったそうだ。「アラビアのロレンス」の世界だ。ビジター・センターのレストランで昼食後、「ビエット・アリ・キャンプ」に入る。日干し煉瓦のコテージやテントが客室になっている。私たちの部屋はコテージで、木のベッドが二つあるだけ。電灯はある。トイレとシャワーは別棟だ。しばらく休憩してから、四輪駆動車3台で岩砂漠ドライブに出発。ドライバーは勿論ベドウィン。岩山(イシュリン山は1753m)の麓や太古の岩絵やロレンスゆかりの地を1時間ほど回る。途中、ベドウィンのテントでお茶。砂漠の土産物屋さんでもある。夕方、ラクダに乗って近くの丘へ夕日見物に出かける。夕日に照らされた岩山や砂漠の中の村の明かりが綺麗だった。夕食はキャンプのレストランで。大勢の人で料理に行列ができていた。「ビエット・アリ・キャンプ」19号室泊。
5日目 5:15裏の丘へ日の出見物に出かける。雲で日の出は見えなかったが、朝日の中の砂漠やキャンプが綺麗だった。転んでちょっと怪我をした。8:00出発、北上して途中「死海」へ下る。「デッドシー・スパ・ホテル」で昼食後、希望者は死海の浮遊体験。私たちは水に触っただけ。さらに北上して「アンマン」へ。街の中心の丘にある「アンマン城」で遺跡を見たり、市内を展望したりしてから「グランドパレス・ホテル」へ。夕食はホテルのレストランで。ホテルのロビーで無線LANが使えるらしい。「グランドパレス・ホテル」224号室泊。夜中にクラビット錠100を1錠飲む。
6日目 8:00出発。北上して、古代ローマの遺跡「ジェラシュ」へ。延々と歩いて「フォーラム」、「南劇場」、「アルテミス神殿」などを見る。南劇場では4人の楽士による演奏を聴いた。軍楽隊を退役した人たちだそうだ。それから競技場で古代戦士のショーを見た。レストランで珍しくセットメニュー(ミックスグリル)の昼食後、「ラムサ」でヨルダン出国、「ダラー」でシリア入国。といっても私たちはバスの中で待っているだけ。現地ガイドは交代する。すこし東へ進んで、これも古代ローマの遺跡「ボスラ」へ。ローマ時代の前は、ナバタイ王国の北の都だったそうだ。玄武岩が多く使われているそうで、石が黒っぽい。立派なローマ円形劇場は保存状態が良い。遺跡の中(周辺)に今も人が住んでいて、土産物屋などを開いている。北上して首都「ダマスカス」へ。「シャームパレスホテル」333号室泊。夕食はホテル最上階の回転レストランでセットメニュー。ホテルは立派だが街の様子はアンマンよりゴチャゴチャしている。ホテルの客室で無線LANの使用可(無料)。
7日目 今日はダマスカス滞在。8:45出発。オスマントルコ時代の鉄道駅「ヒジャーズ駅」と「国立博物館」を見てから、「スーク・ハミディーエ」を見物。女性は囚人服(?)に着替えて、「サラディーン廟」と「ウマイヤド・モスク」を見る。ウマイヤド・モスクの中には洗礼者ヨハネの首が祭ってある。世界各地から多くのイスラム教巡礼者が来ている。「スーク・マダハット・パシャ」で買い物をしてから、「アゼム宮殿」を見る。オスマントルコ時代のダマスカスの統治者の邸宅で、今は民族博物館になっている。旧市街の民家で昼食。ご主人は退職した金細工師だそうだ。いろいろな家庭料理が出された。「聖アナニア教会」、「まっすぐな道」、「キサーン門(聖パウロ教会)」を見て、いったんホテルへ帰る。よく歩いた。聖アナニア教会ではサウロがキリスト教に改宗して聖パウロになった話を聴いた。まっすぐな道は改修中ですごい埃。夜は旧市街のレストランでウードの演奏を聴きながら食事。バスで「カシオン山」へ登ってダマスカスの夜景を観賞した。「シャームパレスホテル」333号室泊。
8日目 8:00出発。アンチ・レバノン山脈に沿って北上し「マアルーラ」へ。キリスト教徒の町。この町では今でもアラム語が話されているそうだ。アラム語はイエスが布教活動に使った言葉だといわれる。「聖タクラ教会」と「聖サルキス教会」を見る。聖サルキス教会ではアラム語による祈りを聞かせてくれた。さらに北上して「ホムス」から西(地中海)へ向かい「クラーク・デ・シュバリエ」へ。十字軍の城砦。レストランで昼食の後、ゆっくり見る。砂漠の中を東へ200kmほどの「パルミラ」へ向かう。途中、日干し煉瓦で造った奇妙な形の民家を見る。パルミラは砂漠の中のオアシスの町。ナツメヤシの林がある。「パルミラホテル」021号室泊。夕食はホテルのレストランで。
9日目 今日はパルミラ滞在。9:00ホテル出発。パルミラはメソポタミアと地中海を結ぶ隊商都市だったそうだ。パルミラ遺跡の中心「ベル神殿」へ。バールの神が祭られている。「墓の谷」で「「エラベール家の塔墓」と「三兄弟の地下墓室」を見る。塔墓はお墓のアパート。「パルミラ博物館」を見て、街のメインストリートを少し散策。お土産を買う。砂漠の中のレストラン「Palmira Gala Restaurant」で昼食。ホテルに戻って休憩。17:00再びホテルを出発。「記念門」から「列柱通り」、「ナボ神殿」、「浴場」、「円形劇場」、「アゴラ(取引場)」、「四面門」、「バールシャミン神殿」を見る。バスで「アラブ城砦」へ登り、夕日に照らされるパルミラ遺跡を見る。夕日は雲でよく見えなかった。ベドウィンテントのレストランでベドウィン料理(羊料理)の夕食。実際は昼食のレストランの隣にあった。ライトアップされた記念門を見てホテルに戻る。「パルミラホテル」021号室泊。
10日目 5:00に歩いて小高い丘に登り朝日を見る。雲で朝日は見えなかったが、朝のパルミラ遺跡を見ることができた。8:00ダマスカスに向かって出発。途中、映画のロケに使われた「バグダッドカフェ」で休憩。バグダッドへの分岐を過ぎてダマスカスへ。郊外のショッピングセンターで昼食と買い物。スーパーマーケットのレジは米ドルでOK。ダマスカス空港17:35発EK914便でドバイ空港21:25着。時差+1時間。実際は1時間ほど遅れた。託送手荷物はダマスカス空港から関西空港まで直送。
11日目 ドバイ空港02:35発EK316便で関西空港17:20着の予定だったが、ドバイ空港で滑走を始めた直後に停止。機材トラブルで機材を換えることになり、空港待合室へ戻される。空港内のエミレーツ航空のレストランで朝食のサービスを受け、09:00出発。関西空港24:00少し過ぎに着く。時差+5時間。
12日目 託送手荷物が全員出て来ないので、Lost Baggage の手続きをする。リムジンバスで航空会社の手配した「ハイアットリージェンシー大阪」へ。バスに乗るとき、朝食のパンとヨーグルトを手渡された。暫くまどろんでからリムジンバスで伊丹空港へ。慌しく搭乗手続きをして08:00発JL104便で羽田空港09:10着。託送手荷物はドバイ空港で積み残されたそうで、2日後自宅に届いた。