11月14日(水)〜 23日(金)− イスラエル
イスラエルの砂漠? キャラバントラベル社の募集型企画旅行「聖地巡礼 ベツレヘムとイスラエル周遊の旅 10日間」に家族で参加してイスラエルへ行きました。参加者は18名、うち男性は4名でした。テルアヴィヴまでは往復ともタシケント乗り継ぎのウズベキスタン航空に乗りました。雨季の始まりでエルサレムとベツレヘムの最後の観光日は雨で寒かったのですが、それまでは毎日暑いくらいの快晴でした。

1、2日目 成田空港20:00発のHY528便で関西空港経由タシケント空港03:45着。機材はB767−300、座席配列は2−3−2。関西空港ではいったん待合ロビーに入り手荷物検査を受けた。ウズベキスタンの日本との時差は−4時間。機内で夕食。タシケント空港06:55発HY301便でテルアビブ空港09:30着。機材は同じ。イスラエルの日本との時差は−7時間。機内で軽食。パスポートにアラブ諸国への入国履歴があるとイスラエルの入国審査が少し手間取る。添乗員は1時間ほど取調べを受けた。またパスポートにイスラエルへの入国履歴があるとアラブ諸国に入国できないので、イスラエルの入国審査では "No Stump, Please." と言う。
カエサリアの昼食 バスで地中海岸を北上して「カエサリア」へ。ローマ時代の遺跡の中にあるレストランでイタリア料理の昼食を取ってから、港、競馬場、半円形劇場、水道橋などを見る。さらに北上して港町「アッコー」へ。聖ヨハネ騎士団の要塞、旧市街、海辺の城砦を見る。パームビーチホテル泊。ホテルは軍士官の家族慰安旅行で賑わっていた。

ガリレヤ湖畔のセントピーターズフィッシュ 3日目 ホテルの食事は朝食も夕食もすべてビュッフェ形式だった。ユダヤ教の戒律では肉類と乳製品は同時に摂ることができないそうで、朝食は肉類なしでチーズのオンパレード、夕食はデザートのケーキにも生クリームは使われていないそうだ。今日はガリラヤ湖に向かって移動する。途中、「カナ」で「婚礼教会」を見る。イエスが初めて奇跡を行った場所。次に「ナザレ」で「受胎告知教会」と「聖ヨゼフ教会」を見る。ナザレはアラブの街。聖ヨゼフの後半生は聖書にも記述がないそうだ。ガリラヤ湖畔に着いて、「タプハ」の教会と「ペテロの首位権教会」を見る。タプハもイエスが奇跡を行った場所で、「二匹の魚と五つのパン」が有名。ペテロの首位権教会には復活後のイエスの像がある。湖畔のレストランで「セントピーターズフィッシュ(聖ペテロの魚)」の昼食を摂る。午後はイエス伝道の拠点といわれる「カペナウム(カファルナウム)」の「聖ペトロの家教会」と山の上の「垂訓教会」を見る。垂訓教会にはグレゴリオ聖歌の楽譜が開いてあった。ガリラヤ湖を40分ほど往時の漁船を模した遊覧船に乗って「ティベリア」へ。ホリデイインティベリア泊。

昼食の魚 4日目 今日は死海まで移動する。先ず少し地中海側に戻って、ハルマゲドンの地といわれる都市遺跡「メギド」を見る。次に紀元前4千年から築かれたという都市遺跡「ベテシャン」でローマ式浴場やローマ劇場などを見る。昼食後、ヨルダン渓谷を南下して、死海写本が発見された洞窟のある「クムラン」、滝があって野生のヤギがいる「エンゲディ」を見る。死海の「エンボケック」に着いてから、ホテル近くのミニマーケットで買い物。わたしはインスタント(?)の「トルココーヒー」を買った。ホッドホテル泊。

死海の昼食のパスタ 5日目 今日はエンボケックに滞在する。ホテルから少し北に戻って塩で出来た岩「ロトの妻」をみる。その後、丘の上の砦で世界遺産の「マサダ」遺跡を見る。岸壁の途中に懸けられたロープウェイで登る。遺跡から死海が望める。ホテル近くのレストランでイタリア料理の昼食。午後は死海で浮遊体験をする。海底は塩の結晶がゴロゴロしていて歩きにくい。

ベドウィンの昼食 6日目 今日は死海からネゲブ砂漠の北部を横断して「エルサレム」に向かう。先ず、古代ナバティア人の隊商都市遺跡で世界遺産の「アブダッド」を見る。ナバティア人はヨルダンのペトラ遺跡を作った民族で、今は消えてしまった。砂漠の中でベドウィンが経営するテントのレストランで昼食。食事はかなりいける。午後は、イスラエル最古の町の一つと考えられている都市遺跡で世界遺産の「ベエルシェバ」を見る。ローマ時代のの円形劇場や浴場の跡がある。エルサレムのプリマロイヤルホテル泊。住宅地の中にあるホテル。今日から3連泊。

エルサレムの中国料理店 7日目 終日、バスでエルサレムの市内観光。先ず「オリーブ山」へ行く。観光バスがたくさん来ていた。エルサレムが一望できる。戻って「ゲッセマネの園」へ。オリーブの古木がたくさんある。隣の「苦悶教会(万国民の教会)」に入るとミサの最中だった。「糞門」から旧市街に入り、検問所を通って「神殿の丘」に建つ「岩のドーム(エルアクサモスク)」を見る。スークを通り、再び別の検問所を通って「嘆きの壁(西の壁)」の前に立つ。男女は仕切られている。男は帽子着用。女性用のセクションに不審物があったとかで、暫く広場が閉鎖され予定の経路が通れなくなった。警備にはかなり神経を尖らせているようだ。歩いてユダヤ人地区を通り、アルメニア人地区にあるシオン門から城外に出て、「マリア永眠教会」の傍らを通り、「シオンの丘」にある「最後の晩餐の部屋」、「ダビデ王の墓」を見て、「鶏鳴教会」に入る。ダビデ王の墓でも男は頭の部分、女は足の部分と分けられている。鶏鳴教会から「ベツレヘム」が遠望できる。パレスチナ地区を分けるあの延々と続く壁も見える。中国レストランで中国風料理の昼食。「ステパノ門(ライオン門)」から再び城内に入り、「ビアドロドサ Via Dolorosa(悲しみの道、十字架の道)」を辿って「聖アンナ教会」、「鞭打ちの教会」、「エッケホモ教会」を通り、「聖墳墓教会」に入る。ビアドロロサはアラブ人地区のスークの中を通っている。聖墳墓教会は巡礼者(観光客?)でごった返していた。キリスト教各派の聖堂(?)がある。スークで暫く自由行動。日本の旅行団体も幾つかいて、迷子の旅行者も。プリマロイヤルホテル泊。

エルサレムのトルコ料理 8日目 小雨の中を先ず「考古学公園」へ。ヘロデ大王の時代の城壁(南の壁)が残っている。キリストが通ったといわれる石段もある。新市街へ出て、マハネユダバザールで買い物。私たちはナツメヤシの実とスイーティを買った。さらに緑の渓谷を通って「エンカレム」へ。「マリア訪問教会」と「洗礼者ヨハネ教会」を見る。ここまで来ると観光客が少なくて静かだ。帰り道に「イスラエル博物館」に寄る。50分の1の(往時の)エルサレム旧市街の模型と「死海写本館」を見た。城内に入って「ダビデの塔」を見る。ヘロデ大王時代の要塞の跡だそうだ。現在、芸術作品の展示に使われていた。市内のレストランでトルコ料理の昼食。たくさんの客が入っていた。午後は「ベツレヘム」の観光。チェックポイントを通り、壁をくぐってパレスチナ地区へ入る。パレスチナ側ではパレスチナ地区のバスに乗る。「飼葉桶広場」と「生誕教会」を見る。生誕教会はギリシャ正教、隣にカトリックの「聖カテリナ教会」がある。聖カテリナ教会の前に「ヒエロニモスの像」がある。ベツレヘムではモスクのアザーンが鳴り響いていた。壁でバスを乗り継いでエルサレムに戻る。プリマロイヤルホテル泊。

9、10日目 バスでテルアヴィヴへ。テルアヴィヴ空港11:30発HY302便でタシケント19:30着。いったん地上に降りたが、再び機内を通って出発ロビーに入り、22:15発HY527便で成田空港翌日10:10着。機材は同じもの。

(写真は食に限りました。)

11月12日(月)− 旧制高校クラス会
旧制都立高校(1948年入校)のクラス会に出席しました。毎年5月と11月の第2月曜日昼、学士会館で会食をすることになっています。今回は5名出席しました。出席者はだんだん少なくなります。
11月4日(日)− 第49回鎌倉市民合唱祭
鎌倉市民合唱祭プログラムの表紙 恒例の鎌倉市民合唱祭が鎌倉芸術館大ホールで開催されました。今年は39団体が参加しました。わたしも「カトリック雪ノ下教会聖歌隊」でフォーレのレクイエムを、「混声合唱団鎌倉コール」でモーツァルトのミサブレヴィス(KV194)を歌いました。